太平洋を越えた日本人とペルー人
去る11月29日(日), 名古屋国際センターホールにおいて「日本人ペルー移住110周年記念事業 太平洋を越えた日本人とペルー人」が開催されました。
はじめに、在名古屋ペルー共和国総領事ルイス・メンディビル・カナレス大使が日本人のペルー移住の経緯について講演を行いました。1899年、790人の日本人が「佐倉丸」に乗り、ペルーに移住してから110年。最初にペルーに移住した第一期移民が家族や知人を呼び寄せるなどし、移民の数は増加しました。現在、ペルーの日系人は推定9万人となり、日系人の国別の規模では、ブラジル、米国に次いで世界で第3番目となっています。移住した日本人の多くは当初、サトウキビやゴムなど輸出作物の農園で働いていましたが、次第に都市部にも居住するようになり、小売業や金融業などの仕事に従事するようになりました。第二次世界大戦での日本の敗戦を契機に、多くの日本人移民がペルーで永住することを決意。ペルー社会への同化が進み、日系人の中にはビジネスで成功する人も出てきました。20年前から多くの日系人が日本に移住するようになり、2008年現在、日本に在住するペルー人は約6万人となっています。ルイス大使は、「ペルーでかつて日本人がしたように、ペルーからの移住者も日本の社会に溶け込み日本に貢献してほしい」と話しました。

つづいて、「NIC地球市民教室」 講師で日系3世の野内シーザー良郎さんが講演を行いました。野内さんのおじいさんは福島県から「佐倉丸」に乗ってペルーのクスコに移住。現在、世界遺産に指定されているマチュピチュが発見されたことから、「素晴らしいマチュピチュを世界中に伝えていきたい」と思いを持ち、村で初のホテルを建てたそうです。野内さんは、「おじいさんが移住した時、スペイン語もわからなければ、文化もわからなかった。言葉が通じず、思いが伝わらず大変だったと聞いています。日本人がペルーに移住し働くことは決して簡単なことではなかったと思います。おじいさんの思いを考えると言葉になりません。日本人の誇りだと思います」と話しました。野内さんが1992年、16歳の時に来日したときも、言葉や文化の違いに戸惑い、思いが伝わらず、おじいさんと同じ気持ちを感じたと言います。野内さんは、「ペルーと日本の関係が向上するとともに、多くの小さな問題を解決していくことで、多文化共生が実現できる社会になることを願っています」と話しました。
次にJICAの青年海外協力隊短期ボランティアでペルーに村落開発普及員として派遣された黒山真弓さんが、ペルーでの活動について講演しました。黒山さんは、看護師として働いた経験を生かし、ペルー北部山岳部の郡役所の人間開発部に所属、貧困対策プロジェクトに携わりました。低栄養児のための牛乳配布プログラムや貧困層の人々に昼食を提供するプロジェクト、健康改善のための栄養衛生指導などの活動を行ったそうです。ペルーの現状について、黒山さんは都市部と農村部の生活レベルの差が大きいこと、栄養状態についてたんぱく質や野菜が不足していることを指摘しました。
3人の講演の後には、ペルー、クスコ出身の兄弟、「フローレス・デュオ」による演奏が行われました。フォルクローレに加えて、日本の童謡「ふるさと」のメロディを取り入れた曲などを演奏し、やさしい音色・すばらしいハーモニーに会場は酔いしれました。
















