2024.07.04
仙台生まれ。親の転勤を機に神奈川→滋賀と移り住んだのち福岡の大学に進学し、名古屋の広告会社に就職。以降フリーランスのライターの仕事を続けながら、中国語通訳案内士、日本語教師の資格を取得。2014年から外国ルーツの子どものための "らくらく日本語教室"でのボランティア活動を続け、地域日本語教育コーディネーターとしても活動中。
様々な価値観との出会い
大学時代、2か月間北京に短期留学したのが私にとっては初めての海外経験でした。漢字を使う同じ東洋人なのに、言語はもちろん社会・文化・価値観が異なることに衝撃を受けたことが、現在の道に進む出発点でした。
大学卒業後は広告会社で企業パンフレットなどの広報物を作る仕事をしていましたが、なんと会社が倒産!フリーランスになったのを機に、再び北京で学ぼうと決意。自分が「外国人」となり、現地の人々や世界各国の留学生たちと中国語で関係性を築いていった1年半は多くの発見に満ちていました。また、日本語科の中国人学生とお互いの言語を学びあったり、大学の先生の誘いで現地のカルチャーセンターの日本語教室で日本文化を紹介したりも。その経験から日本語教育にも興味を持つようになりました。
つながりを作る仕事
その後、日本語教師の資格を取得、日本語学校で3年間、初級クラスで教えていたこともあります。
やがて、縁あって外国ルーツの子どものための日本語教室の立ち上げに関わることになり、現在に至ります。
ここ数年は地域日本語教育コーディネーターとして、名古屋国際センターで日本語学習やボランティア活動に関する相談などを担当し、名古屋市内の日本語教室を検索できる「なごにほ」のサイト開設にも関わりました。
「なごにほ」が地域のボランティア教室で学びたい人・活動したい人にとって有益な情報源となり、ここから「地域日本語」に関わる人々のつながりの輪が広がっていくことを願っています。
☆「なごにほ」https://www.nic-nagoniho.jp/
"ことば"の可能性を信じて
私自身、子ども時代は親の転勤で住む環境が度々変わり、その都度適応することに苦労しました。
来日したばかりの子どもたちはその何十倍、何百倍ものストレスを抱えていることでしょう。
今関わっている「らくらく日本語教室」は、学校の勉強に必要な日本語はもちろん、ボランティアとの何気ない会話を通して、互いの気持ちを解放できるゆるやかな居場所でありたいと思います。
豊かな"ことば"は出会いを広げ、進学や就職においても夢の扉を開く力になります。
これからも、"ことば"に関わる仕事・ボランティア活動を通して、
年齢・性別・国にかかわらず、対等なやりとりを大切にして多くの人々の人生を豊かにするお手伝いができたらと思います。