2024.01.20
日本語ボランティアが情報交換とネットワーク構築を図り、よりよい活動につなげること、そして市民へ日本語ボランティア活動を広めることを目的に、1993年に(独)国立国語研究所が名古屋で開催し、1994年からは毎年NICと東海日本語ネットワークが両主催で開催しているシンポジウム。
開催から30年を迎える今年は、「『未来につなぐために』~地域日本語教室ができること~」をテーマに、地域日本語教育の30年を振り返り、これからの活動について考えました。
特別企画 「時代とともに移りゆく地域日本語教育~これまでと、これから」
1990年から現在までの地域における日本語教育(成人対象)の変還をたどりながら、2019年の「日本語教育の推進に関する法律(以下「日本語教育推進法」。)」や文化庁の人材育成・研修等の取り組みなどを紹介し、それらが地域の日本語教育にもたらす影響を考えました。
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"教えない日本語教育"への気付き
名古屋国際センターに「NIC日本語の会」が設立された1991年(改正入管法施行の翌年)頃は、南米から日系の方が愛知県にたくさん来日した時期でした。名古屋市は「日本語指導者養成講座」を立ち上げましたが、尾﨑さんと米勢さんはその講座の講師を務めました。
当時は日本語の教え方について講義し、ボランティアを"にわか日本語教師"にしようとしていたと語る尾﨑さん。しかし、現場で活動を始めたボランティアは数々の壁にぶつかります。「日本語がほとんどできない人にどう教えるのか」、「学習者の日本語レベルにバラつきがある」・・・。1994年、東海日本語ネットワークの設立に伴いボランティア同士の交流の場が増え、そのような生の声が共有されるようになったのです。
さらに、ボランティアの声から現場の学習者の様子も浮かび上がってきました。そうして、地域の日本語教室に来る外国人は、ほとんどが仕事に追われ勉強に集中できる環境下にないことや、週に一度、日本語の文法を中心に教えるだけでは実際の生活で役立たないと気が付いたという尾﨑さん。
「1990年代は、地域の日本語教室が日本語を教える場ではなく、日本人と外国人が日本語でコミュニケーションをとる場――"教えない日本語教育"の場である、と見方が変わった時期だったと思います。」
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「共生」を目指して
2006年、総務省が「地域における多文化共生推進プラン」を策定し、「日本語教育」は多文化共生のために必要な大事な柱の1つであると位置づけられました。
当初は多文化共生の重要性に気づいていなかったという尾﨑さん。「とにかく、外国の人が日本語ができるようになればいいと思っていました。『頑張って勉強してください!応援しているよ!』と。でも、そう言うだけでいいのか?それは、日本社会に同化してよと言っているのと同じではないか?日本人も外国人についてもっと知り、日本語で気持ちの良いコミュニケーションができるようになることが必要ではないか?と思い始めるようになりました。」と語ります。
そうして、地域日本語教室に「多文化共生を実現するための場」という大切な役割が加わるようになりました。
ボランティアの役割 "多文化共生のキーパーソン"
尾﨑明人さん
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2019年には「日本語教育推進法」が施行され、2024年4月からは日本語教育の適正かつ確実な実施を図るための日本語教育機関の認定等に関する法律(以下「日本語教育機関認定法」。)が施行されます。日本語教育の専門機関や教師が地域の日本語教育を担うようになることは望んでいた方向ではあるものの、注意すべき点もあると尾﨑さん、米勢さんは指摘します。「(体制が整ってくると)自治体が地域の日本語教育を日本語学校や日本語教師に頼んでいく状況になるでしょう。しかし、専門家に任せっきりになってしまうと、教室のもつ「多文化共生」の側面が薄れ、本末転倒になってしまう。どうやったら日本人と外国人が一緒に活動する場(=「居場所」、「つながる場所」)を作れるかを考えてほしい。」
大切なことは、1人でも多くの日本人が外国人と対等な立場で共に活動する時間を持つこと。「地域の日本語教室は、多文化共生のために絶対に必要な場所。そして、そこに参加するボランティアは"多文化共生のキーパーソン"であると思います。私たちは、キーパーソンである。それをまずは自覚することが大切だと思います。」と締めくくりました。
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トークセッション 「日本語ボランティアシンポジウム 30年の歩み」
話し手:鈴木勝代(TNN前代表)、酒井美賀(TNN現代表)
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鈴木勝代さん(写真中央)、酒井美賀さん(写真右)
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「はじめの10年間は、"素人でどうやって日本語を教えたらいいの?"と、"にわか日本語教師"の私たちは悩み多き時代でした。」と語った鈴木さん。当時はネットもなく、情報が簡単には手に入らない時代。そのような中、様々な人、それも全国にある日本語のネットワークと繋がることができるシンポジウムは貴重な機会でした。
2004年からは「子ども」というキーワードを取り上げはじめました。「多文化共生」というフレーズが出てくるようになり、ボランティアも"共生"と日本語教育とのつながりを勉強するようになった時代でした。「先の10年は日本人だけが活動を考えていましたが、この頃からは外国人と共に考えるようになっていったと思います。」(鈴木さん)
2014年から現在まで代表を務められている酒井さんは、次のように振り返りました。「私は"多文化共生世代"だと思います。日本語教育からではなく、多文化共生をスタートにボランティアを始めた人も多いのではないでしょうか。教えるのではなく、行動型・体験型など、一緒に何かを考えて活動することをテーマにすることが多かったです。」また、シンポジウムもオンライン開催となったコロナ禍の時期について、「ちょうど2019年に日本語教育推進法が定められ、日本語教育に取り組む機運が高まっていたところに活動中止を余儀なくされ、勢いにブレーキをかけられたようでした。しかし、コロナによるオンライン使用で得たこともたくさんありました。みんなが「できることをやろう」と試行錯誤していました。」と語りました。
時代の変化やニーズに合わせてボランティアと共に様々なテーマについて考えてきた日本語ボランティアシンポジウム。未来につながるキーワードは、変化に応じて柔軟に変わっていけるよう、勇気をもって踏み出すことかもしれません。
パネルディスカッション 「これからの地域日本語教室、未来へのチャレンジ」
外国人とともにつくりあげる「居場所」
「多文化を学び、遊ぶ」をコンセプトに2023年に立ち上がった「にほんご おしゃべり in なかがわ」。
教室立ち上げに関わっている外国人住民の「文法は独学でも勉強できるが、日本人と一緒に話したり、日本文化を知りたい。」という生の声をもとに、日本人・外国人分け隔てなく、皆が主役で活動できる内容を一緒に考えていったという教室の代表、藤井由美子さん。教える・教えられる関係ではないため、参加費の100円はボランティアも支払います。これも、教室立ち上げ会議に参加していたベトナム人参加者の意見でした。
「今後は、民生委員や町内会の人に教室のことを知ってもらい、一緒に地域活動ができるといいなと思っています。そのためにまずは私が地域に足を運んでみようと思います。」
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ボランティアと共に作り上げる新たな教室
1991年から32年間活動している名古屋国際センターの日本語教室も、今年から新たな挑戦を始めました。これまでの1課1つの文法事項を積み上げていくテキストベースの教室から、まずテキストの使用をやめ、対話を通じたコミュニケーション中心の活動に変えました。
教室では、「職場の人に名古屋弁を話してびっくりさせたい!」という学習者の希望から、一緒に方言を学ぶ場面も。タームの最後に行なった教室ミーティングでは、ボランティアからも楽しかった!の声が多数挙がりました。
対話を通じ、外国人と日本人だけでなく、外国人同士・日本人同士もお互いを知り、そこから社会へとつながって、日本語教室からまちを築き上げていくこと。NICとボランティアが目指す目標の1つです。今後のチャレンジは、NICの子ども・高校生・大人向け日本語教室の垣根を超えたボランティア・学習者同士の交流を実践すること。学習者の情報交換をすることで、よりよい支援につなげていきたいです。
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その他、公益財団法人豊橋市国際交流協会 日本語部会の鈴木孝さん、NPO法人可児市国際交流協会の菰田さよさんからも、興味深いお話を伺うことができました。参加者同士の意見交換では、時代と共に教室も変わってきていることへの共感や、変化に伴う教室活動継続、内容の工夫の難しさなど具体的な意見交換が活発に行われました。
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コーディネーターを務めた南田あゆみさん(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)は、「"チャレンジ"というと何か大きなことに聞こえるかもしれませんが、大小ではなく、"変化を恐れないこと"。日本語教育がどんどん変革を迎えている中、それに合わせて柔軟に対応していくこと。そういったことが、これからの日本語教室を考えるうえで大切になってくるかと思います。新しいことの実践には悩みやトラブルがつきものですが、その時こそ、このネットワークを活用していきましょう。」とパネルディスカッションを締めくくりました。
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パネルディスカッションの様子
参加者同士の交流の様子