2025.01.19
12月14日(土)に、地域の国際化セミナー「映画から考えよう!多様な背景を持つ人々と"向き合う"こと」を開催しました。映画「フィリピンパブ嬢の社会学」を鑑賞後、原作者である中島弘象さんにもご登壇いただき、対談とパネルトークを開催しました。当日は、174名が参加し、国籍や文化、生活習慣、来日・在住理由など多様な背景を持つ住民同士が、「一人の人間」として"向き合う"ことの大切さや誰もが暮らしやすいまちにしていくために必要なことについて考えました。
登壇者:
田村 太郎 氏(一般財団法人ダイバーシティ研究所 代表理事)
中島 弘象 氏(「フィリピンパブ嬢の社会学」原作者)
立石 ジョゼ 政敏 氏
(ブラジル出身、NICポルトガル語スタッフ、地球市民教室講師、語学・災害語学ボランティア)
グェン ティ クィン アイン 氏
(ベトナム出身、NICベトナム語スタッフ、地球市民教室講師)
<外国人は数年で母国に帰る人?>
「外国人にだけ、いつまで日本にいるの?と聞くのはおかしい」と田村さんは訴えます。数年働いて帰国するつもりが、何十年も住み続けることになり、「永住者」の在留資格や日本国籍を取得する外国人も。中島さんの配偶者はフィリピン出身で、日本で暮らしていますが、「家族がいるところが自分の国。家族とそばにいられるところが、自分のいるところ」と話しているそうです。日本人であろうが外国人であろうが、誰もが将来どうなるのかわかりません。しかし、日本社会では「外国人は一時的に日本にいる人」と考えがちだと田村さんは指摘します。
また、2019年の「出入国管理及び難民認定法」では、「特定技能」という在留資格が創設され、「特定技能2号」を取得すれば、家族を日本に連れてくることができます。さらに、2027年の改正では、「育成就労」という在留資格が創設される予定です。「育成就労」から3年以内に「特定技能1号・2号」に変更が可能となります。田村さんは、「家族が帯同できるということは、日本に長く住むということ。日本政府も長く暮らす外国人の受入れに舵を切った」と話します。
<外国人は何に困ってる?困りごとはみんな同じ?>
フィリピン人向けのレンタルビデオ屋を経営していた田村さんは、阪神・淡路大震災をきっかけに多文化共生の推進に取り組むようになりました。そんな田村さんがこれまで数々の取材を受けてきた中で回答に困る質問は、「外国人って、何に困っていますか?」。まず、「外国人って、だれのことを言っているのかと聞きたくなる」と話します。"外国人"と一言で言っても、国籍も、在留資格も、年代も、性別も、経済状況もさまざまです。中島さんも「外国人に限らず、小さなことから、大きなことまで、困っていることは誰にでもある。内容も人それぞれ」と応えます。
外国人の日本語能力もさまざまです。在住期間が長いからといって日本語ができるとは限りません。立石さんは、「ブラジル人が多く住むところには、ブラジル人向けスーパーもある。また、職場に行けば通訳もいる。日本語を話す必要がないと考えているブラジル人も少なくない」と言います。一方で、現在大学生のアインさんは、来日前に8か月間、そして日本に来てから日本語学校で2年間、日本語を学んだそうです。さらに、中島さんの配偶者は、フィリピンパブで働きながらOJTで日本語を学んだため、「話せるけど、読み書きが苦手。子どもの字が汚ないと、学校の連絡帳が読めない」と話します。
アインさんは、「日本人が人それぞれであるように、外国人も人それぞれ。国籍やルーツで一括りにするのではなく、一人ひとりを見てほしい」と訴えました。
<ここ10年間の社会の変化とは>
「スマートフォンや通訳・翻訳アプリの普及で、"ことばの壁"は低くなった。スマートフォンをかざすと英訳されるため、学校からもらってくるお便りなどの内容が難しくて理解できないということは、ほぼなくなった」と中島さん。さらに、「国際結婚が珍しいことではなくなった。自分の住む地域では、保育園も学校の外国人保護者の受け入れに慣れている」と感じています。しかし、田村さんは、「外国人を多く受け入れている地域と、まったく受け入れたことがない地域があり、二極化している。多文化共生と言い続けて30年経ったが、外国人がいないところは今もいないままで、あまり変わらない」と指摘します。
<対等な関係を気づくためには>
家庭内のパワーバランスについて、「普段は妻のほうが強い(笑)。しかし、在留資格の更新手続きや書類関係になると、知らず知らずのうちに日本人である自分が力を持ってしまう」と中島さん。「日本人の配偶者等」の在留資格を更新するには、戸籍謄本等や住民票が必要で、日本人である配偶者の協力が必要です。
田村さんは、阪神・淡路大震災で被災した外国人への情報提供を機に、「多文化共生センター」を立ち上げました。レンタルビデオ店を経営していた際に利用客からよく生活相談を受けていた経験から、「外国人向けの相談窓口は、力関係が生じ、外国人にとって相談しにくい状況がある。店員と利用者の関係の方が対等で理想的だったと感じる」と田村さん。「助ける、助けられる関係は健全ではないから、外国人支援センターと名付けなかった。多文化共生センターとしたのは、対等な関係性を目ざすため」と当時を振り返ります。
<多文化共生社会に必要なのは、「不寛容にならない」こと>
「ブラジル人は、よくうるさいと言われる。カーオーディオから音楽を大きな音で流し、窓を開け放しにしてしまうことも。でも、それはブラジルでは日常的なことで、迷惑になると思っていない」と、立石さんはよくあるトラブルについて話しました。また、参加者から「ある国の人が毎週集まってパーティをしている。近隣住民はうるさいと感じているが、彼らの文化を尊重しなければならないのか」との意見が出ました。田村さんは、「共生は、話し合って、双方で歩み寄って、新しいルールを作っていく。すべてを受け入れなければならないというわけではない。まずは、違う価値観を否定せず、合理的なことは受け入れていく。不寛容にならないことが何より大切」と、これからの社会に必要な「まなざし」について強調しました。
名古屋市には、150以上の国・地域から10万人近いが外国人が暮らしています。登壇者たちは、会場に向けて「"外国人"と一括りにするのではなく、一人ひとりを見てほしい」という強いメッセージを伝えました。参加者からは、「互いを尊重しあい共生してくことの大切さ、そして難しさを学んだ」「外国人を取り巻く状況が変わってきている。自分の意識が追い付いていないことが分かった。考えるきっかけになった」「外国ルーツの方からの意見はとても学びが大きい」等という声がありました。国籍や文化等は違っても、勇気を出して"向き合う"ことで、一緒に楽しんだり、笑ったり、泣いたりする時間は、同じ人間として、心がつながる瞬間なのではないでしょうか。