2024.12.17
本特集記事では、グローバルな視野を持って活躍する若者たちのボランティア活動に焦点を当て、彼らがどのようにしてSDGs(持続可能な開発目標)等の達成や社会に貢献しているのかを取材しました。特に環境保護に関する取り組みを中心に、地域を超えて広がる若者たちの情熱や思い、また、これまでの歩みや今後発信していきたいことなどを紹介します。未来の地球を守るため、次世代のリーダーたちがどのように力を合わせて挑んでいるのか、その実態に迫ります。
★本特集は3回(Vol.1~3)の連載で記事を投稿していきます。今回はVOl.2です。
名古屋国際センターで多言語スタッフ(ポルトガル語)として活躍されていた経験もある山田伶南さん。日本で生まれ育ったクオーターであり、日本、ブラジル、そしてシンガポールでの経験から得た多様なものの見方、考え方を活かし、ポルトガル語通訳・翻訳者、そしてキャリア・ライフコーチなどのキャリア支援者として活動をされています。今回はそんな彼女のこれまでの人生経験や取り組まれていることについて聞いてみました♪
~劣等感を抱いていた子ども時代~
私は日本人の父と、日本人とブラジル人とのハーフである母の間に生まれました。家庭での会話はポルトガル語が中心だったので、小学生の頃は日本語があまり話せませんでした。学校では同級生の輪に入れず、一生懸命日本語を勉強するのはもちろん、流行りのドラマを見て、必死に共通の話題を作ろうと無理をしていました。「テストの日本語の意味が分からない=自分には能力が無い」と感じてしまったり、みんなと違うことが"悪"であるかのように、"同じ"になろうと必死でした。ブラジルやシンガポールでいろいろな人と出会い、自分のアイデンティティを確信した今では、そんな無理しなくて良かったんじゃないかと思えるようになりました。自分と同じような境遇にいる子、同じように感じている子がいたら、みんなと一緒じゃなくても良いんだよ、と伝えてあげたいです。
~母が与えた影響~
子ども時代は本当に色々ありました。他の人からみたら、壮絶な子ども時代だったかもしれません(苦笑)。両親が離婚したり、家が火事になって公民館や親戚の家に身を寄せたり、親に代わって妹や幼い弟の面倒を見たり...。同世代が受験勉強に集中している時期にも、私は安心して生活できない環境下にありました。「長女だからしっかりしなきゃ」というプレッシャーが常にあったり、クラスメイトの家庭環境と比べて苦しくなったりして、とうとう私はストレスが原因でてんかん発作を起こし、度々倒れるようになりました。救急車でよく運ばれていたので、病院の人たちにも有名で、「眠り姫」と呼ばれていた時期もありました(笑)。
離婚でシングルマザーになったり、火事に見舞われて住むところが無くなっても、まつげエクステサロンなど事業を起こしたり、「私は母親である前に女なのよ」と新たな恋人を作って人生を楽しみ、「日本人の2倍努力してやっと同じラインに立てるのよ」といつも超前向きでエネルギッシュだった母。そんな彼女を見て育った私は、「眠り姫」になるくらいストレスを抱えながらも、吹奏楽部に入ったり、書記係や合唱コンクールの指揮者に立候補したり、好きなことを伸ばそうと努力しました。勉強は本当に苦手でしたが、人前に立ったり、リーダーシップを取ることが得意だったのです。努力が功を奏し、高校に進学しました。しかし、ブラジルに一時帰国していた母が初恋の人と一緒になりたいということで、高校を中退し、ブラジルに行くことになりました。
~周りと違ってもいい。違うから良い!!~
ブラジルは日本と全く違いました。牧場にある親戚の家でトイレも流れない環境での生活が始まり、毎日泥んこまみれになりました。治安が悪すぎて一人で自由に外を出歩けなかったり、野良犬のフンを踏まないように下を見て歩いたり...。慣れるまで毎日日本に帰りたかったです。でも、ブラジルの同世代の子達はそんな私を"日本から来た世間知らずのかわいい子"と面白がってくれ、パーティやアイスクリーム屋さんに連れ出してくれました。そうして、少しずつブラジルでの生活に慣れ、段々と楽しくなっていきました。
クオーターの私は、日本にいても、ブラジルにいても、どこにいても外国人なんです。ブラジルでの生活を通して、日本でもブラジルでも周りと比べて先に壁を作ってしまったのは私だったのかもしれないと気づきました。
ブラジルの人々は苦しい状況下でも楽観的で明るく、寛容で、ルールだけが正義じゃないことを学ばせてくれました。次第に私は、「弱いところも私の一部」、「苦しい経験があるのはラッキー」、「周りと違っても良い!」と、自分を認められるようになったのです。
~私のアナザースカイ、シンガポール~
学校についていくほどポルトガル語ができなかったので、筋トレをしたり、大量のコンデンスミルクを食べながらNETFLIXを観る毎日でした。これではいけないと思い、18歳になり成人となったのを機に、単身、日本に帰国しました。日本の高校に編入し、同世代と同時期に高校を卒業したかったのですが、時期的に難しく、高等学校卒業程度認定試験を受けるしか選択肢はありませんでした。高卒認定予備校の費用は当時の私にはとても払えない程高額だったので、祖父に頼み込み、何とか受講できることになりました。祖父は、お金の重みを感じさせるために、私に現金(60万円)を直接渡しました。60万円の重みを感じながら、大嫌いな勉強を頑張った甲斐もあり、無事合格できました!!助けてくれた祖父には感謝しきれません。その後、知り合いからの誘いがあり、夢に近づくためにシンガポールへ飛び立ちました。
世界を飛び回りたい、グローバルに活躍したいと思い、当時の私の夢はキャビンアテンダントになることでした。
シンガポールでは本当に様々な人々との出会いがあり、「世界を飛び回るには他にも色んな道があるよ」など、自分とは違う視点に触れました。そうして様々な意見を聞きながら、ノートに自分の気持ちを書き出していき、「私はキャビンアテンダントじゃなくてお金持ちになりたいんだ→社長になればいいんだ!」と自分の気持ちを整理できました。
ある投資家の方から「起業をしたいなら投資してあげるよ」というお声がけも頂いたのですが、書き貯めたノートを見直して、まずは勉強して自己研鑽することが必要だと確信。ひとまずお断りして日本で起業に向けて勉強することを決意しました。
また、シンガポール滞在中にアイデンティティを確立することができたのです。「どこから来た?」と聞かれると、私は「日本だよ」と咄嗟に答えました。「あ、ブラジルも入ってるよ」と言い直すと、「日本もブラジルも、MIXであることが全部あなたの一部だよ」と教えてくれた人もいて、色んなルーツがあってもいいんだ、と肯定された気持ちになれました。
シンガポールは"多様性が認められる国"として知られていますが、本当にその通りです。日本人であり、ブラジル人でもある自分を認め、アイデンティティを見つけることができました。「あなたのアナザースカイは?」と聞かれたら私の場合、きっとシンガポールですね!
~起業への道~
シンガポールでの日々もあっという間に3ヶ月が経ち、短い期間にも関わらず濃い経験ができた私は、起業に向けて勉強するため日本に帰国しました。当時は2020年のコロナ禍真っ只中。働きながら学校に通いたいと思っても職を見つけること自体が難しい時期でした。
ブラジル生活を通して、以前よりポルトガル語が上達していたこともあり、「ポルトガル語を使って仕事をした方が良いよ!」という周囲に背中を押され、名古屋国際センターや愛知県国際交流協会、さらにはハローワークなどでもポルトガル語通訳・翻訳や多文化ソーシャルワーカーとして働き、学費を稼ぎました。そして2021年にBBT大学(オンラインで起業等について学べる大学)に入学し、現在まで沢山の学びを得ることができました。
起業したい、といっても何でビジネスを始めるかは決めていなかった私。得意なことをいくつか挙げ、そのうちの1つ、自分の考えを書き貯めていた自己分析用のノートにビジネスチャンスがあるのではないか、と教授にアドバイスをもらいました。自己分析ノートを書き始めたのは、自分が変わった証拠、Before/Afterを残したかったからです。シンガポールに行く際に、「シンガポールに行っても何も変わらないのでは?」と母親に言われたことも理由の一つでした。
そこから、「ライフデザインノート」という、自己理解を深め、本当にやりたいことを見つけ出し、それを実現するための計画を立てるキャリア・ライフコーチとしてのサービスを始め、会社を立ち上げました。ライフデザインノートの他に、日本の良い文化を世界に発信したい!という思いから、古着を藍染でアップサイクル※した商品を、同じ志を持つロンドン在住の友人と販売したり、女性が自分の意見をもっと発信してほしいという想いからポッドキャスト(ラジオ)も始めたりしました。その他にも様々なことに取り組んできましたが、これまでも、これからも、世界の人々へ発信し続けたい2つの思いがあります。
※廃棄予定だったものや不要になったものに手を加えて、新たな価値を持たせることで、より良い製品に生まれ変わらせる手法
~私が世界へ発信し続けたいこと~
私は普通の人と比べると、本当に様々なことを経験してきた方だと思います。苦しいことが沢山あったけど、前向きに努力したことは決して無駄では無かったし、同じように辛い思いをしている人や困ってる人がいたら、少しでも私の話を聞いて元気になってほしい。そういう思いから、"セルフラブ"や"ロジティブ"ということばを主に発信しています。
自分自身を認められなくて苦しんだ子ども時代や、自分の長所を引き出してもらって助かった経験から、「まずは自分を大事にしないと周りも大事にできない」と実感し、自分自身を労わる"セルフラブ"の重要性に気づきました。また、"ロジティブ"とは私の造語なのですが、日本人のロジカル(論理的)に考える面と、母やブラジルの人々のポジティブな面の、両極端だけどどちらもあるから良いじゃないかという、多様な生き方を認める考え方です。これらの考え方や私の経験を沢山の人にシェアして、"セルフラブ"や"ロジティブ"の輪を広め、より多くの人が自分を活かして生きていけるように発信したりサポートしていくことが私の夢です。
★山田伶南さんに関連するWEBサイトはこちらからご覧になれます:https://lit.link/jobreina00