2025.09.12
「日本に暮らす外国人と日本人が、スポーツを通じて交流できる場をつくりたい」。
ひとりのその想いから始まったのが「Futsal Unity World Cup(フットサル ユニティ ワールドカップ)」です。
発起人は政田 盛拓(まさだ もりひろ)さん。2014年に名古屋で第1回を開催して以来、参加者や支援の輪を広げながら活動を続け、今年7月には大阪・関西万博の会場で開催される大会に成長しました。
政田さんに今回、大会を立ち上げた背景や多文化共生社会に向けた想いを伺いました。
★本特集は全2回(Vol.1~2)の連載でお届けします。
在住外国人と日本人との国別対抗のアマチュアフットサル大会です。日頃から練習しているチームが多いですが、この大会のために連合チームを結成して参加する場合もあります。日本人チームの参加もあります。参加条件の一つは「ピッチに3名以上、同じ国籍の選手がいること」です。
予選トーナメントと決勝トーナメントを戦い、優勝チームを決めます。第1回大会以来、ブラジルが強いですが、近年はベトナムをはじめとするアジアのチームも上位に食い込みようになっています。国際交流を目的に掲げた大会ですが、ピッチ上では真っ向勝負、真剣そのものです。
自動車メーカーに勤めていたころ、駐在員として2年間ベネズエラで過ごしました。現地では韓国人の駐在員たちとサッカーを通じて交流する機会が多くありました。互いに国代表カラーのユニフォームを着て、試合は真剣勝負。しかし終われば一緒に飲みに行き、肩を組んで語り合う。今でも忘れられない思い出です。
また、大学時代から続けていた極真空手を活かし、現地の道場で子どもたちに指導もしました。道場では家族のように迎え入れてもらい、食事を共にしたり泊めてもらったりする中で、当初は話せなかったスペイン語も自然に身につきました。
スポーツを通じて言葉や文化を学び、国境を越えて人々と深くつながれたことは、かけがえのない経験です。
ベネズエラでは、前任者から「国別のミニサッカー大会に出場した」と聞き、国旗が並ぶ会場の写真を見せてもらいました。「こんな大会に出たい」と強く思いました。しかし滞在中には大会が開かれず、悔しい思いが「いつか自分で大会を開きたい」という気持ちにつながったのかもしれません。
そして2014年、東京から愛知へ転勤して間もないころ、地下鉄でスペイン語を話す若者グループを見かけ、思わず声をかけました。彼らには「日本人にこうして話しかけられたのは初めてだよ」と驚かれ、最後にはハグをして別れました。そのとき、「同じ街に暮らしているのに、日本人と外国人の交流がほとんどないのはもったいない。交流のきっかけをつくりたい」と心から思いました。
しかもその年はブラジルW杯の開催年。ニュースを見るたびに、ベネズエラ駐在時の自分を思い出すとともに、「自分がやらなきゃ」と使命感に駆られ、サッカーより少人数で参加しやすいフットサル大会の開催を決意しました。
2014年5月に開催を決意し、わずか2か月後の7月に第1回大会「Nagoya Futsal Mini World Cup」を実現しました。振り返ればとても短期間でしたが、仕事の合間を縫って必死に動きました。
当時、名古屋には知り合いがいなかったため、まずはチラシを作り大学を訪ね、協力してくれる学生を探しました。こうして集まった有志で実行委員会を結成しました。フットサル場や外国人が集まるバーにも足を運び、ポスターを貼ってもらったり、街で外国人を見かければ声をかけてチラシを渡して、参加チームを募集しました。
その結果、ブラジル、パラグアイ、日本、韓国、中国の5か国から8チームが参加。ゼロからの挑戦が初めて形となった瞬間でした。
第1回大会では審判に苦労しました。日本人審判が担当しましたが、外国人チームから多くのクレームが入り、決勝の審判を辞退される事態に。第2回大会からブラジル人審判にお願いすると、その場でクレームを収めてもらえるようになりました。
第2回大会以降は会場をオーシャンアリーナ(現・名古屋金城ふ頭アリーナ)に移したことで資金が必要となり、スポンサー集めに奔走しました。多くの企業の協力を得て何とか運営を続けることができました。
選手たちの声をきっかけに変えてきたこともあります。例えば、大会名です。以前は「Nagoya Futsal "Mini" World Cup」でしたが、あるとき韓国の監督兼選手から「この大会は"Mini"なんかじゃない!もっと大きな大会にしていこう」と言われました。その意見を受け何度も考えた末、"団結"の意味を込めて「Futsal "Unity" World Cup」へと改めました。
「Futsal Unity World Cup」は、国籍や文化を超えて共にプレーし、応援し合うことで交流のきっかけを作る大会です。その理念は「いのち輝く未来社会のデザイン」を掲げる大阪・関西万博とも重なり、スポーツの力で国境を超えたつながりを世界に発信したいとの思いから、万博会場での開催を目指しました。
大阪・関西万博のEXPOアリーナ「MATSURI」を丸一日借り切っての開催となり、愛知を中心に、ブラジル、中国、韓国、ウズベキスタン、インドネシア、ベトナム、日本など12か国15チームが集結しました。
これまでの会場に比べ規模が大きく、セキュリティも厳重だったため、準備はとても大変でした。特に、選手が会場に入るにはオンラインでの事前登録が必須で、日本語のマニュアルを翻訳してサポートするなど、選手・関係者300人が無事に入場できるかどうか当日までヒヤヒヤ、まさに「挑戦」の大会でした。
一方で、今回の会場は有名アーティストが万博の開幕ライブを行った場所で、楽屋として使われたであろう控室を利用することができました。部屋の入り口には国旗やチーム名を掲示するなど、めったにない特別な雰囲気を演出して、スタッフも楽しみながら選手たちを盛り上げました。選手たちも、愛知からバスを貸し切って移動し、バスに乗り込む様子からカメラを回してドラマ仕立ての動画を作るチームもあり、いつも以上の熱意に胸が熱くなりました。
選手、ボランティア、観客、スポンサー、スタッフ―。すべての方々の支援と協力があったからこそ、大きな盛り上がりの中で幕を閉じることができました。この挑戦は間違いなく価値あるものだったと、胸を張って言えます。
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